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大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)1353号 判決 1962年5月30日

控訴人 ヨシ子こと川田ヨシエ

被控訴人 長谷川清二 〔人名いずれも仮名〕

主文

原判決主文第一項を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金一一万三、三一六円並びにこれに対する昭和三四年六月一日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分しその三を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

この判決は第二項に限り被控訴人において金四万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

控訴人は適式の呼出を受けながら昭和三七年二月一九日午前一〇時の当審における第一回口頭弁論期日に出頭しないので陳述したものとみなした控訴状の記載によれば控訴人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求めているのであり、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張証拠の提出援用認否は、被控訴人の方で陳述した原審口頭弁論の結果によれば原判決事実記載と同一であるからこれを引用する。

理由

被控訴人が控訴人と昭和三三年一〇月一二日結婚式を挙げて事実上の夫婦として同棲し昭和三四年一月二〇日戸籍の婚姻届を了したものであることは当事者間に争がなく、戸籍謄本であつて成立の認められる甲第一号証と原審における証人藤田美津江、深田伸一、及び戸川道男の各証言(但し上記証言中後記の信用しない部分を除く)並びに原審における被控訴本人尋問の結果(後記の信用しない部分を除く)によれば、被控訴人と控訴人はいずれも愛媛県の出身であるが被控訴人(昭和五年一二月一日生)は郷里の高等学校を卒業して暫く家業の農事の手伝をした後昭和三一年頃叔父深田伸一を頼つて兵庫県尼崎市に来て大工の手伝職をして働き収入も一日八〇〇円から九〇〇円位の賃金を得ていたところ、姉婿戸川道男の世話で控訴人(昭和一二年八月二日生)との縁談がまとまり前記のように愛媛県の郷里に帰つて結婚式を挙げて婚姻の予約をなし事実上の夫婦として控訴人と共に被控訴人の実家で農繁季の手伝などして過ごした後同年一二月一日尼崎市西大島字下の被控訴人方住居に帰つて同棲するうち間もなく被控訴人は控訴人から懐妊した旨知らされたが子供を持つには時期尚早ということで同月末頃妊娠中絶手術を受けようとしたところ産科医は診察のうえ既に妊娠四箇月目になつているので妊娠中絶手術はできないと診断したことが認められ、やがて控訴人が昭和三四年四月二日前記住居において成熟女児を分娩しこれを幸子と名附けたことは当事者間に争がない。

原審における証人戸川道男、深田伸一、山本健次郎及び佐藤誠治の各証言(但し戸川道男、深田伸一及び山本健次郎の各証言中いずれも後記信用しない部分を除く)並びに原審における控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果の一部と弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人は被控訴人と結婚する以前に約一年間愛媛県下で小学校の教職にあつた佐藤誠治(明治三八年四月一七日生)宅に住込んで女中奉公をしていたことがあり、その当時右佐藤誠治と情交関係を結び同人の子を懐胎するに至つたがそのうち被控訴人との縁談が持ち上つたので控訴人は被控訴人及びその近親者等に対してはもとより終始佐藤誠治と従来密通情交関係があつた事実は匿し、また佐藤の子供を懐胎している事実も既にほぼ感知していたのに拘らずこれを默秘したままで初婚の被控訴人との同棲生活に入つたものであつたが、幸子の出産時期に不審を抱いた双方の親や仲人等が郷里やその近傍の知人等について探索調査し、また母親からの注意によつて始めて幸子が自分の子であるか否かにつき疑惑を生じた被控訴人や叔父深田伸一等においても直接控訴人本人について問い質した結果以上の次第が判明し控訴人自身も亦過去の密通関係を告白したため被控訴人は離婚を決意しその意向を伝えたところ控訴人も離婚に同意して昭和三四年五月二日幸子をつれて肩書の実家に帰つたことが認められ、証人山本健次郎の前記証言及び原審における控訴人本人尋問の結果の中右認定に副はず若しくはこれに反する部分は信用することができず、他に右認定に反する証拠はなく、かくて昭和三四年五月九日被控訴人と控訴人が協議離婚する旨の戸籍の届出をしたことは当事者間に争がない。ところで婚姻予約の成立から離婚に至る前認定の事実の経過に照らしかつ弁論の全趣旨を斟酌して考察するときは、被控訴人は前記婚姻予約締結の際には未だ全く控訴人と佐藤誠治との密通情交関係の存在及び控訴人が既に佐藤誠治の子を懐胎していることを知らなかつたものであつて、若し事前にこの事実を知つていたならば、被控訴人は決して控訴人と結婚式を挙げて事実上の夫婦として同棲生活をすることはなかつたであろうし、まして戸籍の届出をして正式に夫婦となる手続をすることもなかつたであろうことは容易にこれを推認することができるし、挙式前に控訴人の前記密通並びに懐胎の事実を知らなかつたことにつき被控訴人側に過失のあつたことを認めるべき証拠はない。そうすると以上認定のように控訴人が従前他の男性と情交関係を結んで現にその子を懐胎している事実があるのに拘らずこれを秘して被控訴人との間に婚姻予約を締結させ、つづいて戸籍の届出もして引続き夫婦として同棲生活を継続する間においてもなお夫たる被控訴人に対し過去のあやまちを打ち明けることもせず、月満ちて出産した後約一箇月を経て結局婚前の素行が発覚し、遂に被控訴人をして婚姻継続を断念しこれを解消するほかない境地に陥らしめた控訴人の行為が公序良俗に反するものであること明らかであつて、被控訴人の財産及び精神上の利益に対する違法な侵害行為と認め得べきものである。従つて控訴人との前認定の婚姻生活の経過に因つて被控訴人に生じた損害は控訴人においてこれを賠償すべき義務があるものといわなければならない。

控訴人は被控訴人との間において右婚姻及び離婚に関して生じた紛争は、離婚に際し被控訴人より控訴人に対し金銭の支払を要求し、しかも金額は明示することなく控訴人の気持に委ねる旨言明したので被控訴人を控訴人の兄の宅に招き酒肴を供して接待しその際現金一万円を被控訴人に贈つたことにより既に一切解決済みで、その他になお被控訴人より控訴人に対し財産上の請求をなし得べき権利はないと抗弁する。そして原審における証人山本健次郎、戸川道男及び深田伸一の前記各証言並びに原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は控訴人との夫婦生活を解消することにした際控訴人に対して金員を交付するよう要求していたので、控訴人は前記のように被控訴人方から郷里の実家に帰つた後叔父山本健次郎に依頼して右金員の要求につき被控訴人の代理人戸川道男と折衝してもらつたところ、被控訴人側としては金額は特に指定しないとのことであつたので両親や山本と相談の上金一万円を贈ることとし同年五月七日頃山本健次郎を介して被控訴人に金一万円を交付したこと、右金員の授受は被控訴人、控訴人間においては前記のような夫婦関係の経過に伴う被控訴人側の財産上の損害の一部を償いかつその精神上の苦痛に対する慰藉の途を講ずる趣旨を一括包含したものであつたことが認められるけれども、右一万円の授受をもつて前記夫婦関係の開始、継続とその解消に関聯する一切の紛争を一挙に解決する方法とする旨被控訴人、控訴人間に合意が成立したという事実は、原審における証人山本健次郎の証言及び原審における控訴人本人尋問の結果の各一部を除いてはこれを肯認するに足りる証拠がなく、右証言及び本人尋問の結果も原審における証人戸川道男及び深田伸一の前記各証言及び被控訴人本人尋問の結果と対比し、弁論の全趣旨より考えてこれを信用することができない。却つて原審における証人戸川道男及び佐藤誠治の前記各証言と原審における被控訴人本人尋問の結果を総合すれば、前記の離婚に際し被控訴人が控訴人に金銭を要求し、控訴人の方ではその叔父山本健次郎を介して被控訴人の代理人たる立場に在る戸川道男のもとに前記趣旨の金一万円と結納金の一部返還として金五、〇〇〇円計一万五、〇〇〇円を持参交付し、被控訴人の方ではこの一万五、〇〇〇円を受領したうえ更に金一〇万円の交付を要求したので、控訴人及びその両親においては金八万円の授受をもつて一切の解決をして欲しいと主張して双方折衝し、控訴人の両親が金一〇万円もの支払をするためには所有の農地を売り払い大切な牛まで手放す外調達の途がないとその苦況を訴えるので一旦戸川も譲歩の意向を示したがそのうち控訴人側においては佐藤誠治に交渉して幸子を同人に引き取らせかつ同人から金三七万円を受取つたことが判明したので、これにより交渉の基礎となるべき事情が一変したとして被控訴人の方では再び金一〇万円の要求を復活固執して譲らず結局双方の示談による解決は不能に帰して本訴が提起されたものであることが認められる。原審における証人山本健次郎の証言及び原審における控訴人本人尋問の結果の中金八万円の授受をもつて一切を解決する旨の約定が双方間に確定的に成立したとの供述も亦原審における被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に照らして信用できない。

控訴人の右抗弁は採用することができない。

そこで控訴人が被控訴人に対して賠償すべき損害の範囲とその数額について検討する。

被控訴人が結婚生活に関する前記認定の経緯によつて夫たる地位において有する名誉を毀損せられかつ正常な婚姻生活えの期待と妻たるべき者に対する信頼を裏切られ精神上の苦痛を蒙つたことは容易にこれを推認することができるのであつてこれが慰藉のために賠償として給付すべき金額は、前認定のように被控訴人と控訴人との夫婦として同棲した期間が約七箇月であつたこと、被控訴人はまだ年も若く将来好配偶者を得て正常幸福な結婚生活を営み得る十分な望みがあると認められること、婚姻関係の破綻の原因がもつぱら控訴人の婚前の不行儀な素行にあつて、被控訴人の側に特段の非難に値する非行があつたことに因るものでないこと、その他前認定のような被控訴人の経歴、職業等諸般の事情に照らすときは金一〇万円を相当とする。

次に被控訴人について生じた財産的損害の存否及びその数額について判断する。原審における証人藤田美津江の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果の一部並びに弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人の前記出産に際し助産婦に対する謝礼報酬等として被控訴人がその負担において藤田美津江に金七、〇〇〇円を支払つた外出産に伴う諸雑費として金三〇〇〇円を支出したことが認められ、原審における証人深田伸一の証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果の一部に弁論の全趣旨を総合すれば被控訴人が控訴人と夫婦として尼崎市で同棲していた前認定の期間(昭和三三年一二月一日以降昭和三四年五月二日までの一五三日間であつて五月四日までと認められる証拠はない)における生活費はすべて被控訴人がその大工手伝の職場で働いて得た賃金をもつて賄はれていたことが窺はれこれに反する証拠はなく、また被控訴人との同棲中の生活費は一切控訴人が結婚に際して持参した金五万円から支弁したとの控訴人の主張事実を認め得る証拠もない。なお結婚式以後前記尼崎市の住居に帰るまでの控訴人の生活費が全額被控訴人の負担において支弁されたものと認めるべき証拠はない。そして被控訴人が得る賃金の額は前認定のように一日八〇〇円前後であつてこの事実と証人深田伸一の右証言と被控訴人本人尋問の結果により右期間に被控訴人の負担により支出せられた控訴人一人分の生活関係の費用は一日当り二〇〇円、右期間内の合計金三万六〇〇円であつたことが認められ、また原審における被控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨とを総合すれば、被控訴人が前認定の結婚式を挙げるため帰郷し式後尼崎市の住居に控訴人を伴つて帰るについてその往復の旅行に関し旅費その他の附随の費用として被控訴人の負担において総額金五、〇〇〇円を支出したことが認められ、前記被控訴本人尋問の結果の中右使途のために支出した金額に関する供述部分は前認定の金額を超える範囲においてはこれを裏附けるに足りる何等の証拠資料も他になく信用することができない。

その他被控訴人主張の結婚式の費用として八万円、結婚の際及び離婚帰郷の際に控訴人の所持品を送り返すのに要した荷造費用及び運送賃として金五、〇〇〇円(被控訴人は上記荷造運送賃と前記五、〇〇〇円と認定した旅費を合算して金一万円と主張する)を被控訴人が自らこれを負担支弁した事実は、原審における被控訴人本人尋問の結果並びに証人戸川道男及び深田伸一の前記各証言中これに副う趣旨の供述があるけれども、右両証人のこの点に関する証言はいずれも被控訴人本人からの伝聞と同証人等の推測に基くものであることが証言自体から窺知できるので到底信用し難く、被控訴人本人尋問の結果の中この点に関する供述も原審における証人山本健次郎の証言と対比し、かつこれを裏付けるべき客観的証拠資料が何等存しないことを斟酌するときは到底これを信用することはできない。被控訴人主張の前記結婚式のため二〇日間休業し一日八〇〇円の割合により得べかりし収益を失つたとの事実については、その主張の日数の中前後五日間が挙式に直接必要な日子であつたことは、前認定の挙式の場所、当時の住居並びに証人深田伸一、戸川道男及び山本健次郎の前記各証言を通じて推認し得べき被控訴人の郷里における結婚に関する慣習等の諸事実に照らして認められるところであるから、その余の一五日間は主として実家の農事の手伝いに過したものと認めるのが前記認定に徴して相当である。従つて一五日の日子はもつぱら控訴人との結婚式のために費されたものではないというべきである。挙式による休業に基く賃金収入の喪失は一日八〇〇円の割合による五日分として金四、〇〇〇円と認められる。

そして以上認定の金銭的支出及び賃金収入の喪失額の合計金四万九、六〇〇円は控訴人が前記説明のとおり違法に被控訴人に蒙らしめた財産上の損害としてこれが賠償の義務があるものである。しかしながら前記認定のように控訴人はすでに被控訴人に対して右精神的損害と財産的損害の双方に対する賠償金の内払として一括して金一万円を支払つているのであり、右支払において二個の右賠償債権に対する充当につき当事者が意思表示をしたものと認めるべき証拠がないから、民法第四八九条に従い右債権額の割合に応じて按分して各充当した残額として控訴人はなお被控訴人に対し慰藉料として金九万三、三一六円財産上の損害賠償として金四万六、二八四円を支払うべきものであるが右財産上の損害につき原判決は控訴人に対して賠償として金二万円の支払を命じたに止まるから不利益変更禁止の原則に従い右金額の範囲において支払を命ずべきものである。

そうすると被控訴人の本訴請求は、控訴人に対して金一一万三、三一六円並びにこれに対する前示不法行為の終了後である昭和三四年六月一日以降右完済まで年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払を求める範囲においては正当として認容すべきものであり、その余は失当として棄却すべきものであるから、これと一部趣旨を異にする原判決主文第一項を右の趣旨に変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第九六条、第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎寅之助 山内敏彦 日野達蔵)

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